1947-

日本の広告産業の近代化に生涯を捧げた

電通はマーケティングエージェンシーを目指し、
アカウント・エグゼクティブ制を導入

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1956年、吉田社長は訪米し、広告業界の動向を観察した。彼は、新しいマーケティング時代において広告代理店が果たしている役割について直接目の当たりにした。

電通は、AE(アカウント・エグゼクティブ)制の導入など抜本的な組織改編を迅速に実施した。AE制を効果的に支援するために、クリエーティブやリサーチの機能を強化するなど組織全体を改革した。

また、吉田社長は「電通インターナショナル構想」を策定し、世界市場への第一歩を踏み出しました。日本が経済的に世界に統合されていく中、電通は1959年のニューヨーク事務所の開設を皮切りに海外事業を開始。その後、欧州、北米、アジアにも拠点網を構築していった。

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日本のマスメディアの驚異的なスピードでの発展と急速な経済成長により、日本は大量消費の時代を迎えた。これと並行して、電通は「近代的な広告会社」への転換を図りながら、飛躍的な成長を遂げていく。しかし、吉田社長はこの目覚ましい成長のすべてを見ることはできなかった。彼は病気になり、1963年1月に亡くなった。吉田社長の葬儀は、戦後日本最大の葬儀であったと言われている。

  • 写真1:
    国際広告協会(IAA)の第13回大会で、吉田社長は「マン・オブ・ザ・イヤー賞」を受賞。
  • 写真2:
    電通のニューヨークオフィス。今日の日本の広告産業の基盤は吉田社長のリーダーシップによって築かれたと言っても過言ではない。広告取引の透明性・近代化から商業放送の実現、広報・マーケティングの導入、AE制の導入、クリエーティブ作品の品質強化、広告関連諸団体の設立、日本の広告業界の国際化に至るまで、吉田社長が成し遂げた成果には計り知れないものがある。
  • 写真3:
    ニューヨーク市の通りを歩く。

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