1998-

「グローバリゼーションとデジタライゼーションの波は、あらゆる既存の組織に押しよせてきている」

-2000年、仕事始式における成田社長のスピーチより

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地殻変動が始まる~電通は21世紀に向けた戦略を策定

1980年代の終わりには、広告業界の基底構造が変わりつつあるとの明白な兆候が見られるようになった。グローバリゼーションとデジタライゼーションという二つの波によって、ほどなく歴史的分岐点が出現したのである。バブル経済崩壊後の経済的混乱がようやく落ち着きを見せた1998年には、オムニコム・グループやWPPなどメガ・エージェンシーによる日本市場参入が始まった。第9代社長の成田豊は「次の2~3年が、来世紀における我々の運命を左右する。」として、電通のグローバリゼーションが急務であることを力説した。そして、21世紀における存続と発展の重要な要素として、東京証券取引所市場第一部(東証一部)への上場を決定した。

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新規株式公開に向け、全社を挙げての様々な新しい取り組みが開始された。世界中のメガ・エージェンシーと競合できるだけの強固な基盤を築くため、レオ・バーネット・グループ、マクマナス・グループと共にビーコム3グループを立ち上げて資本参加することにした。

電通はメディア環境全体の急速なIT化にいち早く対応し、目標として掲げている更に進化した「“Total Communications Service”の提供」を実現すべく、特にコンサルティングやメディアマーケティングの領域における戦略プランニング機能を強化した。スポーツ・マーケティングの領域では、オリンピック/世界陸上競技選手権大会/FIFAワールドカップ™など多岐に渡るイベントを手がけることで競争力の更なる強化に努めた。屋外広告、デジタル衛星放送といった新規メディア/コンテンツ領域においても、電通は21世紀における事業展開を見据え、新たなビジネスモデル開発の最先端を走り続けた。

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  • 写真1:
    1999年に行われた電通の全社集会において、東証一部上場を控え、21世紀電通の戦略的ビジョンを語る成田社長。
  • 写真2:
    真新しいビーコム3のロゴを手に乾杯する経営陣。
  • 写真3:
    「日中広告教育交流プロジェクト(1996)」について話し合う江沢民中国国家主席と成田社長。アジア地域を重視する成田社長の方針により、電通は中国の広告業界をサポートしていくことになった。
  • 写真4:
    1998年、長野冬季オリンピックの開会式。

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