1964-

「東京オリンピック~世界がひとつになる」

写真1

マイルストーンの10年
電通は売上高で世界最大の広告代理店となる

1964年、日本は初めて大規模な国際スポーツイベントのホスト国を務めた。東京オリンピックである。日々繰り広げられるドラマに満ちた熱戦は、カラーTVの生中継と前例のない規模での新聞記事で報道され、全国民が熱狂した。電通は全社を挙げて東京オリンピックの成功に貢献し、この種のイベントが持つビジネスの可能性を日本の広告業界に示した。
1970年には、日本第二の都市「大阪」が万博の開催地となった。電通は運営にあたった独立行政法人との契約業務に従事するのみならず、出展した国内外の企業や外国政府の代理店としても多岐に渡る分野で関与し、大阪万博の成功に大きく貢献した。こうした国家規模のイベントは、その後に電通が事業領域を多角化する上での重要なきっかけとなった。

写真2、3、4

この時期に日本は急速な経済成長を遂げ、結果として電通も着実に業績を伸ばし続けた。1974年にはアメリカの主要誌TIMEとAdvertising Ageで、前年の売上高ベースで世界最大の広告代理店に上り詰めたことが報じられた。

  • 写真1、2:
    1964年の東京オリンピック。開会式の日は見事な晴天であった。
  • 写真3:
    岡本太郎作の「太陽の塔」は、1970年大阪万博を象徴する最も印象深い展示物である。この万博のテーマは「人類の進歩と調和」であった。
  • 写真4:
    1967年6月、築地に本社新社屋が完成。大阪万博会場の総合設計を担当した丹下健三が設計を手がけた。

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