1901-
「ニュースや広告事業のために自分を犠牲
にする準備をした」
電通の創業者で初代社長の光永星郎
電通の歴史は1901年、20世紀の夜明けに始まった
電通の創業者である光永星郎(1866~1945年)は戦時中に特派員を務め、報道の世界を味わった。彼はそうした経験から、ニュースや情報を新聞社に提供するため、ニュース配信事業を始めるという考えに至った。1901年7月、まず彼は、ニュース配信事業を支えるために必要な収入を得るため、新聞広告を販売する広告代理店「日本広告(株)」を創立し事業を開始。そして同年11月、同じ社屋内にニュース配信事業を行う「電報通信社」を創立(1906年12月に改組し、(株)日本電報通信社を創立)した。
1907年8月、(株)日本電報通信社が(株)日本広告両社を合併した。本章は、電通が通信事業と広告事業を併営していた頃の話である。
電通は、広告事業では「広告料の低廉化」「透明・公正な取引」「フルサービスの提供」という3つの基本方針を掲げ、事業を急速に拡大させていくことで、日本の広告業界におけるリーディングカンパニーになりました。
電通はニュース配信事業において、米国のUP(United Press International)との間で、日本と米国を結ぶ初の海底電信ケーブル(当時の最先端電信技術)を通じたニュースの受信契約を締結し、日本のニュース通信事業に新たな時代を切り拓きました。しかし、戦争の恐怖が広がる中、日本政府は、当時の電通と日本新聞聯合社の2大通信社の通信事業を統合し、1つの強力な国営通信社にすることを求めた。電通は他のすべての選択肢を尽くした後、ニュース配信事業を断念することに消極的に同意。こうして、1936年6月1日、電通は広告専業の会社として生まれ変わりました。
- 写真1:電通の創業者光永星郎。彼は「最初に事業を立ち上げたとき、赤い名刺を持っていた。その色は熱意の象徴である反面、通信業と広告の犠牲でもあった。」と述べた。
- 写真2:電通は、6坪の小さな貸家から出発した。
- 写真3:毎年恒例の電通富士登山は1925年に始まり、現在も続いている。参加者は、日本の聖山の頂で、取引先の繁栄と電通の持続的な成長を祈願している。