1978-
電通、コミュニケーション活動を全方位的に網羅することを決意
広告会社からコミュニケーションカンパニーへ
効率性の向上を目指し、トップダウンの取り組みで世界的なオイルショックの影響から回復した1978年、電通はコミュニケーションカンパニーへの転換の始まりの象徴として、英文社名をDentsu Advertising Ltd.からDentsu Incorporatedへと改めた。そして、新規メディアへの取り組み開始や行政主導の大規模地域振興プロジェクトへの関与を深めるなど、事業領域を急速に拡大していった。
1984年のロサンゼルスオリンピックに際しては、日本における独占権を多数獲得し、各種競技団体が企業から支援を受けたことの見返りに所属選手の広告使用を許諾する「がんばれ!ニッポン!」キャンペーンを開発した。このキャンペーンはその後のスポーツ関連ビジネスの礎となった。
海外戦略の重要施策として、1981年にはアメリカ最大の広告会社であったヤング&ルビカム(Y&R)との基本合意に調印し、国際間の戦略的提携を開始した。これにより、ヨーロッパ、南北アメリカとアジアをカバーする全世界的なネットワークとしてDYRワールドワイドが発足した。
また、1980年には、北京に事務所を開設した最初の海外代理店の一社として、他社に先駆けて中国の広告市場に進出した。
1986年、第8代社長の木暮剛平が、新しい企業理念「“Total Communications Service”の提供」を象徴する新CIを発表した。
バブル経済と呼ばれ、好景気に沸いた1988年には純売上高が1兆円を超えたが、これは広告代理店としては世界初のことであった。
- 写真1:1987年にニューヨークの仕事始式においてスピーチする木暮社長。
- 写真2:Dentsu Advertising Ltd.からDENTSU INC.への英文社名変更を告知する企業広告。
- 写真3:Y&Rインターナショナルのアレクサンダー・ブロディ社長(写真右)と電通の第7代社長田丸秀治。
- 写真4:新たな企業スローガン「コミュニケーション・エクセレンス」と電通の社名を組み合わせた企業ロゴ。